クオリティと感動って比例しないと思うんですよ。もちろん、半端ないクオリティのものを見たら、人間感動しますよ。
でも、じゃあその半端ないクオリティのものを100点だとして、30点を見たときに感動しないか、と言われればそんなことはありません。
結局は期待値との差だと思うんですよ。ここのラーメン屋は美味いって聞いて、さんざん並んだ挙句に食べるラーメンて、実はそんなに美味しくなかったりするんです。
それよりも、ちょっとボロい外見で、行列はおろかお客さんも全然いない。そんなラーメン屋に入って、そこのラーメンが美味かったら感動するでしょう。
そういうときって想定外なんですよ。完全に自分の予想の範囲外のものなんで、心にガンガンくるんです。まさに感動。
それを思ったのは、こないだの娘(4歳)のダンスの発表会ですね。
娘はダンススクールに通ってて、そこのスクールの発表会があったんです。
なんちゃら区民ホールってところで、サイズはやや小さめの映画館くらい。そこで発表会を見たんですけど、まあすごい。自分の娘ながら、半端ない演技でした。幼稚園児のそれを超えていた。
でも、泣くほどの感動はなかったんですよ。娘には申し訳ないんですが、泣きはしませんでした。
反対に、息子(7歳)が同じくらいの歳だったときの学芸会は、泣くほどに感動してしまったんですよね。
幼稚園の学芸会でダンスがあったんですよ。息子が年中のときに。だから5歳ですか。
息子はやんちゃ坊主の問題児で、年少のときの学芸会は、1人だけ舞台の上でふてくされてたんです。みんなが一生懸命参加している横で、1人仁王立ちしていました。だりぃって顔しながら。
んで、それから一年後の学芸会ですよ。このときはみんなと同じように参加していて、見てても頑張ってるのがわかったんです。
その姿を見てたら、ボロボロ泣けてきちゃって、もう僕はダメでした。客席の最前列で大泣きしてましたよ。
娘のダンスと息子のダンス。両者のクオリティの差は歴然です。娘のほうが圧倒的にすごい。
でも僕の中で娘はデキる子なんですよ。何をやってもよく出来る。なので、想定外のクオリティではありませんでした。
反対に息子のダンスは想定外。だから感動したんだと思います。期待値が0に等しかったんで、30点のダンスに猛烈に感動してしまったんだと。
☆☆☆
仕事してると、クオリティに目が行くじゃないですか。スピードを優先するときもあるでしょうけど、クオリティに目が行かないときはない。
んで、このクオリティですよ。これってユーザーに喜んでもらうためのクオリティですよね。大げさに言えば感動してもらうためのクオリティ。
でもこれって、ただ上げるだけでは、感動は生まれません。期待値とのギャップをもたせないと。
ステーキけんの井戸さんとか、よく言ってるんですよね。「うちの店は美味しいよ」ってあんまり言いたくないと。
なんだったら「うちの店は不味い」って宣伝したいと、前にメルマガで書いてました。
美味いって言っちゃうと、期待値が上がるから、感動が生まれにくくなる。これが理由だったんですけど、なるほどなと思いましたよ。
期待値を下げる努力をしてる人って、まずいないでしょうけどね。井戸さんは意識してました。
クオリティと感動は比例しない。とにかく、期待値の上げすぎは危険でしょう。