クソレビューが付くことこそアプリ開発の醍醐味である
僕はアプリを作るのが大好きで、ちょうど一年前くらいから、ちょこちょこ作っています。
月1本くらいのペースですかね。まあそんな感じで作ってるんですが、アプリの醍醐味っていうのは、容赦ないレビューにあると思ってるんですよ。
他にも沢山の醍醐味はあれど、レビューほど痛快なものはないと思っています。
会社勤めをしながら、隙間時間にコツコツとアプリを作ってたとしましょう。
んで3ヶ月くらいかけて、やっと完成するんですよ。平日は毎日2時間、週末は8時間かけて作ったアプリです。
そのアプリがやっと公開されました。審査落ちすること2回。やっと日の目を見たわけです。
感慨に浸っていると、一件のレビューが付いてることを発見します。
おお。自分のアプリに早速レビューが付いてる。ありがたいな。
そう思いながらレビューを見ると、飛び込んできたのは、たったの一言。
星1つの評価とともに、この一言が添えられていました。
夜遅くに帰宅した日も、眠い目をこすいながら作ったアプリ。休みの日も仕事さながらに取り組んだアプリ。そのアプリに対する世間の第一声はクソゲー。
だいぶヒドイ話ですけど、こういうことってありますよね。自分でどれだけの想いでアプリを作っていても、クソレビューが付くことは避けられません。
まあバグがあって、それに対する指摘とともに、低評価をされるのならいいですよ。むしろ助かります。
でも世の中には、とにかくdisる輩がいることも事実。
なんでしょう。自分が作ったものに対して、情け容赦ない評価をされるから、アプリ開発は面白いんですよね。
こういうブログを書いていても、同じようなことはあるでしょう。いわゆる炎上みたいなことは。
でもアプリとブログでは、かかってる時間が違いますからね。平日2時間、週末8時間、それを3ヶ月かけたブログ記事なんてないでしょう。
どれだけ簡単なアプリでも、それなりの手間暇がかかってるわけですが、そのことが全く加味されないのが痛快でたまりません。
これは日本人特有なのかもしれませんけど、自分がやった過程について、やたらと語るじゃないですか。徹夜したとか、これだけの労力を注ぎ込んだとか。
そういうのが全く通用しない世界だから、僕はアプリが大好きです。
まあひとたび会社員でなくなれば、結果が全てですよね。会社内では過程が評価されたりもすると思いますけど、世間は結果のみを求めます。
そういう結果至上主義を露骨にいってるのがアプリだと思うんです。これだけ率直なレビューが集まる場所はそうそうない。
ブログのコメント欄やAmazonのレビュー欄も荒れてます。でも一番情け容赦ない風が吹いてるのはアプリのレビュー欄でしょう。
適切なレビューはもちろん、僕はクソレビューまでひっくるめてアプリ開発の醍醐味だと思っています。みんな大好き。
P.S.
書き忘れましたけど、レビューっていうのは付くだけましですよね。
僕のアプリでレビューが付いてるのは、職安へ行こうだけですもん。多分。
レビューが付いて嬉しい。クソレビューが付いて楽しいって感じでしょうね。